Lighted Darkness
 -under children〜暗い陽の下の子供〜-



「――終わりましたよ、シスター・エレン」
孤児院の二階の階段から降りてきながら、イゼルは言った。
「ありがとうございます、Dr.へインズ。助かります」
「いえ、屋根の修理くらいなんでもありません。私自身、この前来た時から気になっていたんで。それから、屋根への階段と、窓枠も直しておきました」
「まぁ…本当にすみません」
エレン――シスター・エリオッティは深々と頭を下げた。
エリオッティ・ベルネアンスは孤児院の院長である。生まれはイタリアだが育ちはイギリスの彼女は、32年前にこの孤児院を設立し、それ以来ずっと孤児を見守りつづけてきている。
柔和な輪郭にいつも、優しい笑みを浮かべた聖母のような女性である。
「私の勝手でやっていることですから、気になさらないで下さい」
「あなたは素晴らしい方ですわ、ドクター」
エリオッティの言葉にイゼルは微苦笑を洩らした。
「へインズ先生―!」
軽い足音と共に、少年たちが駆けてくる。先頭の少年はボールを抱えている。
「やぁ、みんな」
「へインズ先生、仕事終わったんだろっ!遊ぼうよ!」
「サッカーしよっ!」
「わかった。わかった。後から行くよ」
「まだ仕事あるのー?」
「シスターと話がしたいんだ。ちょっと待っててくれるかい?」
「じゃあ、早く来てよ、先生!」
「待ってるからなー!」
ばたばたと少年たちは前庭へ走っていった。
「元気だなぁ…」
「えぇ。あの子たちは、ドクターを尊敬してるんですって」
エリオッティは小さく笑った。イゼルはまくった袖をもどしながら、訪ねた。
「小耳にはさんだのですが、最近、変な輩がここに来ているそうですね」
「まぁ…よくご存知ですわね」
「二階の窓が割れていたので、すぐにわかりました。何か問題でも?」
温和そうな表情にかげりが差し、エリオッティは悲しげに言葉を洩らす。
「…一週間前に……何者かが、孤児院に盗みに入ったようなんです。何も盗まれていなかったから、皆には内緒に…
 …わたくししか知りません。次の日には窓が割られていて、割れた破片に混じって、石が窓の下に落ちていましたわ。
 一昨日には、子どもたちが何人か見知らぬ男に襲われて、ケガを……」
「トムとジョディですね」
嘆息して、エリオッティはうなづく。彼女の鳶色の瞳に深い嘆きがうかがえる。
「えぇ…どうしてなんでしょう。子どもたちには何の罪もないというのに。考えたくはありませんが…きっと寄付金目当てではないかと…」
「寄付金…でも、ここには置いてないのでは?」
「はい。月に一度、ジャンに頼んで銀行から持ってきて頂いていますの。うちでは男手は彼一人ですから。頼りになりますわ」
「でしょうね」
軽く相槌を打ったものの、イゼルは何か考えこんでいるようであった。
「警察には相談しなかったのですか?」
「警察だって?」エリオッティのものではない、声が上がった。
「彼らは当てになりませんよ。ノッティンガム市警ほど頼りにならない警察はない」
「ジャン、なんてことを言うんです!」
イゼルが振り返ると、この、聖リグー孤児院唯一の男性職員の、ジャン・テジックが立っていた。
彼は少しだけ不愉快そうに秀麗な眉をしかめている。
「院長先生、彼らをかばう必要なんてないですよ。彼らは事実何も出来なかったし、それどころか、」
「グランプル警部のことですか?あの人は、可哀相な人です。祖国の違いで人は理解できないものと勘違いなさってるだけ」
「院長(シスター)は優しすぎます。あの男があなたを何と言ったか…僕は許す気にはなりませんね」
「グランプル警部…」イゼルは胸中でうんざりとため息をついた。
「知っているんですか?Mr.へインズ」
「嫌味と葉巻をこよなく愛している男と聞いています。彼とは関わらない方が賢明でしょうかね。私の知人で、ミラ警部という男がいます。よろしければ、私から彼に話しておきましょうか?」
「信用に足る方なんですか?」
グランプルなる男によほど嫌味を言われたのか、ジャンか慎重になっていた。
「人望の厚い男です。…ちなみに例の警部とは犬猿の仲ですがね」
「ジャン。ドクターのお知り合いの方なら大丈夫でしょう。頼んでみましょう」
「そうですね」
ジャンはようやくその端正な顔立ちに笑みを浮かべた。
「そうと決まれば」イゼルはケースとコートを持った。
「先生、私のかわりにテイラーたちのサッカーに付きあってやって下さい」
「いいですよ」ジャンは受け負った。
「失礼します。ではまた」
身長に不釣合いな軽い足音を立てて、イゼルは玄関へ向かった。
扉を開けると、少年たちがほぼ全員こちらを見ていた。
一番年長の少年、テイラーが叫ぶ。
「先生、遅いよ!」
「すまない、みんな」
ポーチの階段を駆け降りると、イゼルのまわりに少年たちが群がってきた。
「本当にすまないと思ってるが、急用ができたんだ。警察署に行かなくちゃいけなくなった」
とたんに、少年たちは非難の声をあげた。テイラーが、思い出し笑いならぬ怒りを出した。
「呼ばなくていいよ!あのチョビ髭骸骨オヤジ、院長先生をキチガイのイタリア女…って言ったんだ」
「みんなで石ぶつけて追い出してやったんだぜ!」
「あの骨ポッキン警部の顔、見せてあげたかったよっ!」
「いいかい、みんな。私はこれからその警部と私の知り合いの警部さんに仕事をかわってくれるように言いに行こうと思ってる。だから、サッカーはまた今度でいいかな」
少年たちは顔を見合わせてから、それぞれに頷いてみせた。
イゼルはにっこりと笑いかけてから、テイラーの肩を叩いた。
「それまでに、うまくなってくれよ」
「あったりまえ!」
少年たちと離れ、孤児院の門をイゼルが通ろうとしたとき、一台の馬車が止まった。
誰かが降りてきそうだったので、彼は二、三歩後退した。
御者がドアを手際よく開けると、中から一人女性が出てきた。
薄めの赤がかかった茶髪は短くカットされ、すっきりした印象を受ける。
瞳は碧眼かと思ったが、よく見ると微妙に虹彩がちがう、フェアリーアイズだった。
グランプルであれば思い切り毒を吐いてやろうと考えていただけに、イゼルは思いがけない美女の登場に肩透かしをくらった気分だった。
イゼルは一応軽く会釈をした。

20100121(past up unknown) writer 相棒・竜帝


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