煌く綺羅の夜 -序章 嵐の前の静けさ- 山間の小さな村。特別珍しい物があるわけでもなく、ごく普通の片田舎だった。 ただ、山々に囲まれ、ありあまるほどの豊かな自然があるだけの、小さな、小さな村。 村の名前を杜樂−とがく−と言った。 そんな村の一角に、村唯一の宿屋があった。 村にはあまり旅人が来ないので、いつもは客がいないが、たまに立ち寄った旅人たちからは重宝視されていた。 宿屋は棕絽−しゅろ−家三姉弟により経営されていた。 宿の名は、三人の名前を一文字ずつとり、<煌く綺羅の夜>とつけられていた。 窓から覗く空は、いつものように晴れわたっていた。 窓を開け放つと、初夏のここちよい風が頬をなでた。 棕絽家三姉弟の長女、煌瑚−こうこ−は何をするでもなくカウンターに座っていた。 やはり客はいなく、二人の弟たちも仕事でいないため、煌瑚は時間を持て余していた。 「私への当て付けかしら。嫌味なくらい天気がいいわ。……いつものことだけど……」 煌瑚は窓の外を見ながらため息を吐いた。 いつものこととはいえ、ただ座っているといういのはやはりあきるのだ。 煌瑚は目をつぶり耳を澄ました。 まずはすぐ近くから。 自分の心音。血液の流れる音。 少しずつ遠くへ。 隣の部屋の時計の音。屋根裏のねずみの鳴き声。 鎧綺が帰ってきたら退治してもらおう、煌瑚はそう思いながらも更に意識を遠くへ飛ばす。 隣の家の会話。道端での子供達の笑い声。猫の鳴き声。 もっと、遠くへ。 誰かのため息。鎧綺の声と、子供達の騒がしい声。 何を教えているんだろう。 意識を少しそこでとどめてみる。 「―そこ、静かにしとけよ。静かにしてないと蹴り技見せてやんねぇぞー」 もっと、遠くへ。 鳥のさえずり。小川の流れる音。由騎夜の声。 「―で、こっちの薬は食後に飲んでください」 もっと、もっと遠くへ。 犬が吠えている。困惑したような異国の言葉。おびえたような声。 異国の言葉? 煌瑚は少し気になり、そこに意識をとどめた。 「―ききたい、ことがあるんです。宿屋はどこですか?」 片言の言葉。異国の旅人だろう。 久しぶりのお客だろう、と煌瑚は考えた。 (生きたい!死にたくない!) 突然、強い、強い心の声が煌瑚の頭にひびいた。 人ではない“モノ”の心の叫びが。 意識を飛ばす。 村の外へ。森の奥へと・・・・・・。 小鳥があばれているような羽音。その間をぬって聞こえてくる優しげな女の声。 「あばれないでね、すぐに治してあげるから…」 煌瑚は、ばっと顔を上げ、目を見開いた。 そんなことをしても、見えるわけではなかったが、咄嗟にそうしてしまった。 しかし、音から何が起こったのかは分かった。 ふと煌瑚の顔に笑みが浮かんだ。 「久しぶりにお客が来そうね。それに……楽しいことが起こりそう」 煌瑚の瞳に、ある光が宿った。 弟二人、鎧綺と由騎夜が見たら、恐怖して後ずさっただろう。 「これで、退屈はしないわね」 煌瑚の後ろに悪魔のしっぽがはえていたが、それに気付く者はこの場には誰もいなかった・・・。 山間の小さな村、杜樂。特別珍しい物があるわけでもなく、ごく普通の片田舎だった。 ただ、山々に囲まれ、ありあまるほどの豊かな自然があるだけの小さな、小さな、村だった。 21年前までは・・・。 そして、また、村の静寂はやぶられようとしていた。 それを、まだ、誰も知る者はいなかった。 <序章終> 2010/01/26(past up unknown) → 煌綺羅 TOP |